2012年6月25日月曜日

目的の正しさは手段の正しさではない――反原発運動と障害者差別について

以下の文章は、ある小さな情報誌のために、少し前に書いたものです。原発反対運動がときにはらむ「障害」や「病」への忌避感、それを無頓着に表明して反原発を主張することの問題については、この文章を書くずっと以前からふくふくの仲間たちや友人たちと語り合ってきました。
これは私個人の署名で書いていますが、多くの友人たちとの議論から生まれた共同作業の成果であることは申し上げておきたいと思います。その共同作業はいまも続いています。友人たち、読んでくださる方々、みなさんとの共同作業です。


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目的の正しさは手段の正しさではない
小田原琳(大学非常勤講師)

 原発に反対するデモで、チェルノブイリの悲しげな子どもたちの写真をもった参加者を見かけたことはないだろうか。TwitterやFacebook、ブログなどのSNSでも、写真がシェアされているのを見たことはないだろうか。これらの写真の子どもたちは、さまざまな障害をもっていて、悲しげにいたいけに、こちらを見ている。子どもではなく、足が何本も生えた子牛や、茎がねじれ、実がいくつも生った植物であることもある。これらの写真には、ほとんどの場合、なんの言葉も添えられていない。そうして、ウェブ上であればそれに、悲しい、かわいそうだ…福島の子どもたちが、というコメントをつける人たちがいる。私はこうした写真を見るたびに、それに寄せられる同情的なコメントを見るたびに、言いようのない怒りに駆られる。
 個人が発信するものだけではない。週刊誌AERAは昨年8月に、「ふつうの子供産めますか」と題する記事を掲載した。福島県の子どもが書いた手紙の一節からそのタイトルは取られていた。今年1月に横浜で「脱原発世界会議」が開催された直後、さまざまな分科会の様子が数多く動画サイトにアップされたが、そのなかには、福島から避難してきた子どもが「将来結婚はしない、ちゃんとした子どもが生めるかどうかわからないから」と発言し、それを聴いた周りの大人が「言いにくいことを言ってくれてありがとう」「そんなこと言わないで結婚してください。女の人を好きになるってすてきなことだよ」と涙を流しながら答えるという、おぞましいという以外に表現のしようのない光景を写したものがあった。いったいこの大人たちは、それで原発政策に対して何か批判したつもりになっているのだろうか。もしもそう考えているとすれば、同時に自分が何をメッセージとして子どもたちに刷り込んでいるか、わかっているのだろうか。障害をもった子どもが生まれることは、何の議論を経る必要もなくただそれだけで世間に訴える力をもつほど不幸なことで、奇形に生まれた生命を正しい目的のためならばさらし者にすることが許されるとでもいうのだろうか?
 さらに衝撃的なことは、このような問いがチェルノブイリ事故後に大きく広がった反原発運動に対してもすでに提起されていたということである。自身障害者である堤愛子氏はこのように書いていた。
「不幸な子を生むな」だって?生まれることが不幸なんじゃない。“不幸”は、世の中のしくみと人々の意識が創り出したのだ。(堤愛子「「あたり前」はあたり前か?」1989年*)

 私たちは25年のあいだ、世の中のしくみも人々の意識も変えることなくこの優生思想を放置して、障害をもって生まれた人たちを傷つけつづけ、今新たに、憂いに満ちた顔つきで、それを繰り返そうとしている。
 脱原発阻止を目論む人々は近頃、節電・停電によって病院や施設、高齢者宅などで健康を害する危険が生じる可能性があるといって世間を脅している。言うまでもなく、そのような問題は原発が稼動していた頃にも起こっていた。電気は弱者のためにつくられているのではない。ふりかえることもしてこなかった存在すら持ちだして再稼動を推進する姿は醜悪である。しかし、放射能の影響と想定される障害をもって生まれた生命に彼ら自身の存分な生を生きさせ、語らせることもせずに、ただ人間の罪悪の証明としてその姿をさらさせることも、その行為の愚かしさにおいて大差はない。どちらもただ弱者を口実にして、弱者が弱者たる社会的理由を解消する最大限の努力をしてこなかったことを棚上げにして、目的のためのたんなる道具として利用しているだけだ。
 私は心の底から原発政策に怒りを抱き、すでに多くの人が傷ついてしまったけれども可能なかぎり早く、災厄の原因をとりのぞきたいと願い、できることをしているつもりだ。だが己の正しさを証明するという欲望のために既存の構造のなかで抑圧されている存在を放置し、利用するのであれば、何ひとつ変えることはできないし、むしろ変えるべきものを生き延びさせることにしかならない。そのことに気づかない人を、私は同じ志を抱く者と考えることはできない。
*堤愛子氏による「ミュータントの危惧」他「反原発三部作」はすべてネット上で読むことができる。




2012年5月27日日曜日

ふくふく11・5月(第1回)報告:震災と女性障がい者のとりくみ


「パネルと写真展 第五福竜丸-福島」の開催のために集まったグループふくふくでは、ことし、「ふくふく11」と題して、毎月11日に集まって、そのときどきに参加者の気になっている問題について学び合う会をもつ試みをおこなっています。
 数回の話し合いのなかで、震災と原発事故を機に浮かび上がってきた「生きにくさ」-とりわけ女性や障害者の抱える-を考えていこうという方向が見えてきました。第1回「ふくふく11」は5月11日(金)に、堤愛子さんの「反原発三部作」(
http://dpiwomen.blogspot.jp/2011/04/blog-post_24.htmlにリンクがあります)をテキストに議論をしました。堤さんのこのテキストは、チェルノブイリ原発事故後に盛り上がった反原発運動のなかに見られる「障害」や「奇形」への忌避感=差別を指摘し、障害者の生きにくさは障害そのものにあるのではなく、それを社会がどのように扱うか、そこにあるのだと告発した文章です。
 議論のなかで参加者のひとりがDPI女性障害者ネットワークを紹介してくれ、もうひとりの参加者が、このネットワークが発行するリーフレット「あなたの避難所にこんな方がいたら」について、会での議論を踏まえてまとめたものをご紹介します。

 最後に院内集会:「障害のある女性の生活の困難・複合差別実態調査」報告会(6月13日(水))のご案内もあります。


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震災と女性障がい者のとりくみ





先月(2012年4月)14日に、福井県庁を訪れた枝野経済産業相が大飯原発の再稼働をめぐって”関電管内の電力不足が「社会的弱者にしわ寄せを与え、日本産業の屋台骨を揺るがす可能性が高い」と危機感を表明“したというニュース(http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/politics/34157.html)を見て、そういえば電力の必要な介護機器をふだん利用されている障がいのある人たちは、どのように震災をくぐりぬけてこられたのだろう、と思ったときに知人から教えていただいたのが、DPI女性障害者ネットワークhttp://dpiwomen.blogspot.jp/

のサイトでした。 こちらのサイトからは、2011年4月25日に発行された「あなたの避難所にこんな方がいたら」というリーフレットをダウンロードすることができます。このリーフレットには、(1)障害のある人に共通して望まれる支援、(2)障がい別に必要な支援者、支援器具等、(3)障がいごとに必要な具体的な配慮や注意:対策肢体不自由、視覚障害、聴覚・言語障害、知的障害、精神障害、難病・慢性疾患の場合などが書かれており、節電や計画停電が必要になった場合にも応用のきく内容だと思いました。

 そのリーフレットなのですが、一番目につくところに、こんなことが書いてありました。



・障害のある女性は、ふだんから情報が届きにくく、声をあげることがさらに難しい、ニーズを出しにくい立場におかれています。

・介助や補助が必要な人や呼吸器をつけている人などのなかでも、特に女性は、生きる優先順位を自分でも低めがちです。平時の社会でも、人工呼吸器の装着が必要になった場合、女性のほうが男性より、呼吸器をつけて生きることを選ぶ人の割合が低いというデータがあります。

・女性の身の周りの介助、とくに着替え、トイレ・入浴は、女性による支援を徹底してください。



 このような注意がなぜ必要なのか、最初はぴんと来なかったのですが、上記ブログの団体DPI女性障害者ネットワークが2012年3月に発行した「障害のある女性の生活の困難―人生の中で出会う複合的な生きにくさとはー複合差別実態調査 報告書」を読んで、ひとことひとことが重く胸に響いてきました。

 報告書は、昨年5月から9月にわたって行われた「障害のある女性の生きにくさ」についての調査と、制度・政策調査の二部に分かれています。(巻末に、避難所などでの対応を書いたリーフレットの原稿、ブックリスト、障害女性が登場するビデオ・DVDのリスト、調査協力依頼文・調査票付)

個別の「生きにくさ調査」は、回答票と聞き取りで87人を対象に行われ、得られた回答をすべて要約し、問題別に15の項目に分類したものです。その項目は「性的被害」「夫や恋人などからの暴力」「就労」「恋愛・結婚・離婚」「性と生殖」「家事・子育て・家族の介護」「介助」「無理解」「教育」「制度・慣例」「女性として尊重されない」「医療の場で」「経済的な問題」「希望すること」「その他」です。これらの回答を読んでいると、職場や学校、家庭といった身近な場所で、女性でありかつ障害があるということが、どれほど生きにくさをもたらすものかがよくわかります。

また、制度・政策調査編は、都道府県の男女共同参画計画と、DV(ドメスティック・バイオレンス)防止計画に、「障害女性」についてどのような記述があり、どんな支援が行われているかの調査結果と、「DV被害者支援の現場から」「ある障害女性の裁判を通して」といった女性支援の現場からの報告からなっています。

このふたつのパートを合わせて読むと、これだけ制度の不備や社会の無理解・偏見があるなかで生き抜いてきた人たちの勇気と強さに、大臣だけではなく、ともすれば私たちが都合よく使ってしまいがちな「弱者」という言葉の意味を考え直さざるをえません。

 最後に、今回の調査で明らかになった「障害女性の困難」=複合差別と、それに対する政策の不在について、6月13日に院内集会が開かれるそうです。障害者運動のなかでも、女性運動のなかでも、気づかれずに放置されてきた部分の多い「女性固有の困難やニーズ」に耳をかたむけるよい機会だと思います。(集会参加者には、上記報告書が一冊配布されます)


院内集会:「障害のある女性の生活の困難・複合差別実態調査」報告会
6
月13日(水)11:30~13:00(予定)
場所 衆議院第2議員会館第5会議室
連絡先: dpiwomen(a)gmail.com (a)をアットマークに変えて送信してください。

(ご案内)障害女性は、 障害があり女性であることから、この社会の中で複合的な生きにくさを抱えています。女性障害者ネットワークが2011年度に行なった、「障害のある女性の生活の困難 人生の中で出会う複合的な生きにくさとは(複合差別実態調査)」の報告会を行います。報告会では、この1年間に行ってきたアンケート、聞取りによる87人の障害女性の声をお伝えすると同時に、都道府県の男女共同参画計画 ・DV基本計画のなかにみる、障害女性に関わる施策の現状をお伝えします。 この調査結果から、私たちは障害女性の抱える問題に対応し実情を改善する施策の必要性を痛感しました。とくに、現在検討されている「障害者差別禁止法」に、障害女性のための条文を作って欲しいと考えています。  ぜひ多くの方にご参加いただき、ご一緒に、障害女性の現状を共有し、今後につなげていくための一歩を進められたらと思っています。ご参加いただいた方には、報告書を一冊お渡しします。

2011年11月18日金曜日

【展示のご案内】 Holiday Wishes: Ben Shahn's Greeting Cards


Holiday Wishes: Ben Shahn's Greeting Cards


1930
年代から60年代にかけて活躍した米国の画家、ベン・シャーンのちいさな作品展を、早稲田の大隈講堂にほど近いカフェで開催します。会場では、シャーンが1950-60年代にかけて制作したクリスマスカードの展示、そして、彼が挿絵を描いた児童書『久保山とラッキー・ドラゴンの伝説』のスライドショーを行ないます。

ベン・シャーンは、公的な注文や私的な利用のため、クリスマス・新年のカードを数多くデザインしました。これらのカードからは、来る年は、誰もが楽しく幸せに過ごしてほしいという願いがにじみ出ています。
『久保山…』は1954年、マーシャル諸島沖で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸が米国の水爆実験に巻き込まれ、乗組員が被爆した事件を題材にした、米国で出版された子ども向けの絵本です。37点の挿絵は、すべてシャーンの手になるもので、出版から50余年を経た今もなお、強い力をもって、見る者に迫ります。

東日本大震災から最初のクリスマスを前に、半世紀の時を経たカードと、第五福竜丸の物語が語りかけるもの、そして、今日本で起こっていることに心を寄せるひとときを、シャーンの作品とともに持ちたいと思います。また、今回の展示では、展示作品の触図や音声ガイドを制作し、目の見えない人も見える人も一緒にシャーンの作品を味わい、ゲストを招いてのトークセッションも行ないます。
ご来場を心からお待ちしております。


【展示概要】

会期:2011年12月7日(水)~2011年12月19日(月) 定休日:火曜日
時間:11:30~22:00(日曜日は18:00まで)
会場・協力:Cat’s Cradle(東京都新宿区早稲田鶴巻町538 岩田ビル1階、早稲田大学大隈講堂より早大通り沿い徒歩1分) 地図
店舗ウェブサイト: http://web.me.com/cats_cradle2007/cats_cradle/Cats_Cradle.html
観覧料:無料(会場は飲食店のため、実費でのオーダーをお願いいたします。ごはんもコーヒーもデザートも、とてもおいしいカフェです)

交通(複数の経路があります):
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東京メトロ東西線「早稲田」駅下車 A3出口左直進 徒歩3分
*早稲田駅A3出口からの行き方:改札を出て地上に上がり、左側に2分ほどまっすぐ歩くと、早大通りに面した最初の横断歩道があります。横断歩道を渡り、左側斜め前が会場となっているカフェの入り口です。店のガラス戸を開けると、カランカランとベルが鳴ります。
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都営荒川線「早稲田」駅下車 徒歩3分
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都営バス・学02終点「早大正門前」下車 右手すぐ *都営バス学02の運行ルートはこちら、都営バスの時刻表検索はこちらのサイトをどうぞ。
*会場には段差が2箇所あり、トイレは車いす対応ではありません。会場周辺のトイレマップを、現在作成中です。


【関連イベント:トークセッション】

会期中の日曜日の夜、今回の展示のテーマに関わる仕事に長らく取り組んでこられた方々を会場にお招きして、トークを行います。ベン・シャーンのこと、福島のこと、マーシャル諸島のこと、あたたかいドリンクを手に語り合いましょう。

(1) 12月11日(日)荒木康子氏(福島県立美術館学芸員)
荒木さんは、シャーンの代表作『ラッキー・ドラゴン』を所蔵する福島県立美術館で、シャーン作品の調査研究に携わってこられました。ベン・シャーンの作品のこと、3.11後の美術館のことなどをお話いただきます。

(2) 12月18日(日)島田興生氏(フォトジャーナリスト)
島田さんは、第五福竜丸が巻き込まれた、ビキニ環礁の水爆実験の舞台となったマーシャル諸島の住民と核実験の被害について、40年あまりにわたって取材を続けています。『久保山…』には描かれることのなかった、マーシャル諸島の人々の過去と現在、未来についてお話いただきます。

時間:19:00~(開場:18:30)
参加費:1000円(ワンドリンクつき)
申し込み:shahnwishes@gmail.com お名前・参加希望日・メールアドレス・当日用連絡先(電話でもメールでも可)を明記してください。
* 会場の席に限りがあるため、事前にお申し込みをお願いいたします。誠におそれいりますが、定員に達したところで締め切らせていただきます。
* 手話通訳・要約筆記、レジュメのテキストデータ提供等、情報保障を希望される方は、申し込み時にその旨お知らせください。

お問い合わせは、shahnwishes@gmail.com (本展企画者)まで、お気軽にお知らせください。

* 視覚障害のある方で、早稲田駅からの誘導を希望される方は、ご相談ください。企画者の勤務のため、原則として、月曜日の終日・水曜日~土曜日の18時までは対応が難しいのですが、水曜日~土曜日の18時以降および日曜日は可能です。ただし、会期中、勤務時間の変更が生じる可能性があるため、事前のご連絡をお願いいたします。
* ツィッターを立ち上げています。展示の会期終了までの間、作品の情報や会場についてお知らせしています。アドレスは、www.twitter.com/shahnwishes2011 。ツィッターに登録していない方も、見ることができます。

2011年9月21日水曜日

【パネルと写真展】「子ども福島」への寄付

ご報告です。
9月10日の山田真さんのトークセッションの際によびかけた会場カンパ15,781円に、入場料から14,219円をくわえて、30,000円を、「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」(通称「子ども福島」)の活動への寄付としてお送りいたします。
小額で申し訳ないのですが、展示品貸出料や展示写真の現像費用等で赤字が出ており、このようにさせていただきたいと思います。

今後ともふくふくでは、震災後の社会を考えるさまざまな企画を実施していきたいと思います。またその際に、皆さまにお目にかかれますことを心から願っています。
どうもありがとうございました。

2011年9月14日水曜日

【山田真さんトークセッション】要旨とご感想

9月10日、パネルと写真展最終日の最後に、「子どもたちを放射能から守る小児科医ネットワーク」を立ち上げた山田真さんにお話をうかがいました。
会議室がいっぱいになるほど多くの方にご参加いただきました。お子さん連れの方も多く、靴を脱いでくつろげるスペースでごろごろする赤ちゃんも。子どもの声が響く、すてきなトークセッションになりました。
子どもをたくさん見てこられた山田さんだからこその、実践的なお話を伺うことができました。
真剣な質問もたくさん出ましたので、まとめが長くなってしまいましたが、どうぞご覧ください。
最後に、ご感想もご紹介しています。

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3月11日以降、広島長崎も経験してきたにもかかわらず、原発建設をとめることができなかったという思いで、無力感を感じていた。反対してきた人たちが落ち込むという状況だった。5月になって、「子どもを放射能から守る 福島ネットワーク」から、子どもを診てほしいという呼びかけがあって、少し立ち直った。
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健康相談は6月に福島と東京で、7月に福島で、計3回実施。
6月(福島):それほど切羽詰まった感じではない。子どもの健康相談というより、お母さんの心配を聞く。福島の医者は子どもの体調をとりあってくれない。事故後まったく情報がなく、配給の水を待って何時間も子どもをおぶって外にいた。自分の不注意で、とお母さんたちが自責の念。
6月(東京):避難をめぐって家庭内不和や、給食について学校にいうと怒られるような状態。それでも、相談会について記者会見もしたし、子どもも来た。
7月(福島):お母さんがおびえている。相談会に来ただけで村八分になるような雰囲気。
いま残っている人は、ここで生きていかざるをえない人で、心配だと口に出せないルールのなかで生きていかなくてはならない。子どもが一生差別されるだろうという予感。
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低線量被ばくにかんしては、データが少ない。米軍やチェルノブイリ事故のときのデータはあるが、どのくらいなら浴びても安全なのかはわからない。浴びれば浴びるだけ危険。
チェルノブイリを見てきた方の話を総合すると、甲状腺がんや白血病は増えるだろうが、それも、どこまでかはわからない。
そもそも病気と原因の因果関係を示すことは難しく、放射線の影響の実証は困難。第五福竜丸の久保山愛吉さんでさえ、アメリカは無関係だといった。
いま健康診断をする必要があるのは、長期的フォローと後々の補償のため。
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6月に福島に行ったとき、新幹線は復興支援のため1万円で乗り降り自由だった。車内は満席だった。しかし、福島駅で降りる人は、自分たち以外、だれもいなかった。
福島の人たちは、日本が福島を切り捨てて生き残ろうとしていると感じているのではないか。沖縄と同じように。福島にいる人たち自身が、「いい情報しか聞きたくない」「福島は安全」と言ってしまうのは、歴史的にそういう経験があるから。
ぜひ一度、行ってみてほしい。ああいう部分を抱えて、豊さを味わってきたのだということを知って、福島のことを考えていきたい。
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― 県庁の指示で福島の医師会が診断しないというのは事実か
現地の人たちの健康管理を長期的にやるとなると現地の医師が必要。今回呼びかけて、ひとりだけ来てくれたが、知られると立場が悪くなるということで、記者会見などで名前は出せなかった。福島の医師会は、健康問題は心理的な問題であって放射能のせいではないという立場のよう。最近になっていっしょに健康相談会をと言ってきたが、トップが山下俊一氏なので、ペンディングにしている。

― 東京で何ができるか。福島に行って、ふみこんで何かやるとすればなにか。
東京でできることは、原発を止めること。国へものを言っていく。福島から人が来たら応援すること。
福島での相談会では、参加したお母さん方を共同通信の記者さんがフォローしてくれた。地元の人が胸襟をひらいて話ができるような場にいければよいが、気持ちがわからなくても、場所を見るだけでもちがうのではないか。出かけてくる人がいることで、福島の人たちの、「捨てられる」という感情はやわらぐのではないか。福島を敬遠する、その気持ちを子どもたちも感じ取っていくのでは。
子どもたちは、放射能とともに生きていかなくてはならない当事者。この際放射能にかんする教育をして、差別がおこらないようにしなければならない。低学年向けの放射能絵本をつくろうかと考えている。

― 科学者やいろいろな専門家が市民の立場で専門知識を生かすために必要なことは。
今回の健康相談では十数人がいっしょにやっているが、低線量被曝の専門家ではない。まずは話を聞いて、必要なこと、わからないことがあればそれから勉強すればいい。とくに小児科医は、子どもの診療だけでなく親御さんの不安を共有するのも大事。

― 福島のお母さんたちが不安を口に出せないというのを聞き、痛ましくてたまらない。自分も区に給食のことを求めたりしている。これから、健康診断に甲状腺の検査を入れるように求めようと思っているのだが。
福島では対象となる人の数が多いので健康診断方式でやるしかないのだが、集団的におこなうと、切り捨てられるものも多い。だから、ほんとうは主治医がやるべき。低線量の場合、明確な症状だけでなく、疲れやすいなどのいわゆる「ぶらぶら病」もあるので、個々の症状をすくいとるには丁寧さが必要になる。東京ぐらいの線量なら、集団検診よりも、そういう目で個々の患者を見てほしいと医師会に求めたほうがいい。
肥田医師が下痢と鼻血に注意と言ったので、それが心配だと言ってくるお母さん方が多かったが、福島で私たちが見た範囲では、心配な下痢と鼻血はなかった。
ただ、今年、北海道とか何か所かでそれらの症状と線量との関係を調べてみようかと思っている。ほんとうは公衆衛生学の人間たちが、直後からチームをつくってやるべきだったのだが、最近になってアリバイ的にちょっとだけやっている。方針がない。
今のところは、食品の測定が大切だろう。産地表示ではだめで、ベクレル表示でなければ。自衛という意味では食品の測定が第一。

― ストロンチウムに対してカルシウム、セシウムに対してカリウムを摂取するのが有効とか、りんごペクチンとか、発酵食品がよいとか言われているが?
科学的に検証されたものはない。検証のしようがない。論理としてはそうだが、データはないし、大きな期待ができるものかどうか。ゼオライトなども同様。
危ないものを入れないということに気をつけるべきで、入ってしまったものを除去するというのは。除染も、評価はいろいろで、言いにくいが、私自身は使っていない。

― 科学的なエビデンスのあるなしにかかわらず、水たまりに入らないとか、日常的に気をつけた方がよいことは。
福島では、外部被曝のことは、考えたらきりがないと話した。子どもには決定権がないから、大人がこのほうがよいとなればそうなってしまうが、子どもは一日中動いているのが自然なこと。雨などは多めに見て、むしろ内部被曝に気をつける方がいい。ただし、これには、いいものを選んで食べられるという経済的余裕が必要になるので、格差が出る。ほんとうならば、福島産のものを食べなくてもすむように、つくらなくてもすむようにするのが本筋。経済的に許すかぎりで食べ物飲み物に気をつける。幼稚園などでは保護者同士で測定について話し合いができるといい。空間線量は正確にはわからないが、食品はある程度わかるので。

― 福島に残っているお母さん方から電話で相談を受けるNPOにかかわっている。福島をちょっと出られるときなどに、お医者さんに診てもらいたいがどこにいけばいいかと聞かれたら、「子どもたちを放射能から守る小児科医ネットワーク」の人を紹介してもいいか。
かまわないが、数が少ない。できれば、かかりつけのお医者さんを育ててほしい。今は大学でも放射線医学の、とくに有害性を勉強していない。いっしょに勉強してくださいと呼びかければ来てくれる人もいるはず。福島の外であれば利害もない。医師会は政治団体だから、利益がないと動かないけれど、個々の医師に呼びかけて、近所にそういうものをつくっていくことが大切。

― 福島の人に「だいじょうぶ」と言われたら、なんと言えばいいか。
相談会に来ない人のほうがたいへんだろうな、と思う。思っていない人に、たいへんだと思ってもらうのはたいへん。でもそういう人も不安になることはある。そのときに行ける受け皿をつくっておくこと。不安は優性思想につながるもので、差別につながるような不安の強調をすべきではない。受け皿だけつくっておくこと。いまはそれも少ない。東京都への避難者8000人の健康相談もできていない。

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第五福竜丸と福島の両方をいっしょに展示する企画に大きな意味を感じます。
特にマーシャル諸島の情報は今の日本にとって必要な情報と思います。
第五福竜丸をゴミにしかけていた日本人は、福島をゴミにしないように、学んで選択する大切な時だと思いました。(匿名希望)

一般報道では伝えられていない、福島の方々の複雑な状況、お心持ちを知ることができて、参加してよかったと思いました。
これまで日本が抱えてきた問題が、福島の方達を通しても、表出してきているのではないでしょうか。福島の方達と、どう関わって生きていくかということが、それぞれに問われているのでは、と思いました。(渡辺真知子さん)

〈現実〉を見つめ、受け入れることの重要性、〈こうすれば安全〉という絶対的な答えがない事実を見つめつつ、個人のライフスタイルを尊重していくことの大切さを語る山田さんのおおらかな態度に共感を覚えます。
まず個人として信頼できるかかりつけ医と良好な関係を持つことが大事なのだと思いました。行政、政治団体に期待せず、自らの社会関係資本を持つことが必要なのだと改めて痛感しています。(5歳児の父さん)

いろいろなことを考えますが、何ができるかを自分に問いかけて、ともかく、覚悟を決めて生きていこうと考えました。放射能について勉強して、これから起こることを予測し、どんなことにも自分の前に現れた現実を直視してのりこえていく(人にも助けの手を出していくことも含めて)ことではないかと思います。(匿名希望)

危険情報の拡散などが中心のあまり意味の無いフォーラムなどが多い中、人権に配慮された山田真さんのトークセッションは、これからの日本人が目をそらしてはいけない核心を語っていたと思う。(田崎光哉さん)

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全会期を通して、約180名の方々にお越しいただきました。
ふくふくのスタッフとしてこの企画にたずさわり、ご来場のみなさんとのお話やご感想から、どれほど多くのことを学ぶことができたかしれません。

「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」への寄付についてはあらためて、ブログで発表いたします。

どうもありがとうございました。

2011年9月10日土曜日

【安田和也さんトークセッション】終了いたしました

9日は、第五福竜丸展示館学芸員・安田和也さんによる、第五福竜丸の被爆の状況や日本社会がそれをどう受け止めたかというお話をうかがいました。
ご報告を一部ご紹介いたします。

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第五福竜丸は、敗戦直後の数年間のみ建造された、木造の遠洋漁業船のなかで唯一残っている船です。その意味で、平和遺産でもあり、また産業文化遺産でもあるのですが、その建造の経緯、被爆の状況、被爆後の受け止められ方には、戦前・戦中・戦後に日本が歩んだ歴史が色濃く反映しています。
戦争中、日本軍は漁船及び漁民を、輸送や哨戒などのために徴用しました。漁船ですから武器もほとんど備え付けておらず、 敵軍に見つかれば真っ先に攻撃され、軍属となった漁師の死者の正確な数は今日でもわかっていません。5~6万人ともいわれているそうです。
戦後、もうれつな食糧難に際し、日本政府は漁業復興による食糧確保をめざします。しかし連合国により、航空機と船舶の建造には制限がもうけられていました。日本政府と水産業界がGHQと交渉をくりかえした結果認められたのが、100トン未満の木造船で、第五福竜丸はその一隻だったのです。

当時、遠洋漁業の操業期間はおおよそ1ヶ月半で、その間船はどこにも寄港しませんでした。遠洋漁業が向かう南洋は、戦前から戦中にかけて、日本軍が苦しめた地域だったためです。
とりわけ被爆時に第五福竜丸が航行していた海域は日本軍が大敗を喫したミッドウェーに近く、漁師たちには、死んだ日本兵に海に引きずり込まれると、恐れられている場所でした。

1954年3月1日朝、第五福竜丸の乗組員は、西方向に大きな火の玉を見ました。ひょっとしたら原爆実験ではないか、と思い、急いではえ縄を引き上げました。その作業中に、「死の灰」を大量に浴びたのでした。米ソの核兵器開発競争が激しくなっていたこの時期、第五福竜丸が被爆した3月から5月にかけて、アメリカは実に6回の水爆実験をこの海域で行っていました。
福竜丸の無線長であり、半年後に急性放射能障害で亡くなる無線長の久保山愛吉さんは、このとき母港焼津に無線を打っていません。無線を打てば米軍に傍受され、拿捕されると、戦中徴用されていたときの経験から考えたためです。実際には、米軍は、水爆の予想以上の爆発規模に、実験域から一時撤退をしていたため、第五福竜丸を見つけていなかったといわれています。

3月16日に帰港。2日後に読売新聞が、詳細な記事のスクープを出します。
当時あまり知られていなかった「水爆」ということばがすでに記事には現れています。読売新聞はこのとき原水爆の特集記事を準備しており、勉強していた記者がいたためです。その後彼らは、「原子力の平和利用」の急先鋒となっていきます。

・放射能障害の治療:ともかく放射性物質が体内から排出されるのを安静にして待つしかない、という点で、今日も基本的には変わらない
・食品の汚染:基準値以上の食品の廃棄。しかし、54年末に検査は突然廃止される。
・海中の放射性物質の移動:拡散・希釈することはなく、かたまって海流に乗って移動する。

こうしたことが日本の科学者たちの手によって明らかにされ、全国で原水爆反対の声が高まりますが、日米政府の政治決着によって、1954年末にこの問題はふたをされ、年が明けてからは新聞報道も立ち消えていきました。

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このトークセッションがおこなわれた9月9日、読売新聞は「核実験のマーシャル諸島 半世紀を経て帰島進む」という記事を掲載しました。しかし記事の内容は、「帰島」 とは程遠い状況を語っています。除染は実施されていますが、50年後の現在も線量が高く入れない場所がある、というものです。安田さんはこの記事に触れ、いったい何を言おうとしているのか、と問いを投げかけて、お話を終えられました。

放射線障害の治療の難しさ、食品の汚染をどこまで排除できるか、除染…こうしたことを、「生々しい」と感じる日々を、私たちは生きているのだという恐ろしい事態を感じずにはいられませんでした。

最後にご感想をひとつご紹介いたします。

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石巻・女川の人々と交流していますが、海洋汚染への不安は高まるばかりという中で、毎日のように石巻でも水揚げのニュースがバンバン報じられています。怖いのは風評被害ではなく、原発事故による放射能被害です。第五福竜丸-福島はいろんなことすべてとつながっていることを感じています。(Sさん)

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ありがとうございました。